イケてるプレーヤーの必要性 for 日本茶
日本茶の関係者は、全く言葉を選ばず言うと、イケてません。
僕を含め、イケてません。
コーヒーの人たちって、なんかイケてる。
日本茶(緑茶)の人たち・・・なんかイケてない。
3年ほど色んな方と話してきて、日本茶の関係者は内向きにマニアックな人が多いのは間違いないと思っています。外に開かなくてもいい、情報の発信源にいたからか。
それ故、理解されなくてもいいや、というのが心の片隅にある感じがします。
もちろん、自戒の念をこめて、この記事を書いています。
改めて、「イケてない」を分解して考えると、
憧れに端を発しているかどうか
に集約されると思っています。
コーヒーは、そもそも外の輝かしい文化として、憧れの対称から始まっている。それを踏襲する自分も、憧れられる存在に向かう。
片や、日本茶は目の前に自然にあるから、そもそも憧れの対称にならない。すると、プレーヤーが誰かの憧れを求めない。内向きな達成感を求めるようになり、理解してもらうことから遠くなる。
こんな構造かなと思っています。
茶道ってイケてるな・・・
と、最近思うようになりました。構造的に。
(以前は、別分野であまり関係がないと思っていましたが、いまは興味津々です。)
数十年前までは違いましたが、一般教養から離れているいま、「憧れ」から入る人が多い。これは、イケてる人が産み出される土壌ではないか。
ただ、一点、しがらみが多すぎるために憧れの対称になりにくいのが残念。
さらに、茶道家がお茶そのものについて詳しくない場合が多いというのも問題。ソムリエやバリスタのような専門家の立ち位置が必要かと思います。今のままでは、茶道家は「継承者」。継承者は、広くから選ばれる役割でない。自然、そこに憧れない。天皇に憧れる日本国民がほぼいないように。
突破口は、
お茶そのものに詳しい、見た目も爽やかな茶道家を作るというところでしょうか。
もし、課題を抱えている茶道家、お茶の先生がいらっしゃいましたら、ぜひ一緒に考えましょう!
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日本茶博士は、日本人が知っているようで全然知らない日本茶(緑茶)という食文化についての情報を、日本人にこそ正確に届けます。
presented by 日本茶博士